どんなことにもプラスの面が
起きた瞬間は、これ以上の悲劇はないと思うような出来事にも、 長い目で見ると、必ずいい面があると思います。
そのまっただ中に居るときは、いい面なんて何もない!と感じるし、 もし起きていなかったら、どんなに幸せな時間を過ごせたことかと 思うでしょう。
私も小学校5年生の時に家が全焼しました。
両親が旅館を経営していて、旅館と家は同じ建物の中にあったので、 両親からすれば、仕事、家、すべてを失ったわけです。
幸いにも家族は全員無事でしたが、 宿泊されていたお客様はお二人お亡くなりになりました。
弟は父親が連れ出し、私と姉は母の誘導のもと、 隣のトタン屋根に飛び降り、更に隣の家に逃げ込み、 難を逃れました。トタン屋根に飛び降りた瞬間、 部屋から火柱が上がったのを覚えています。
ほんの5秒ぐらいが生死をわけました。
今でもこの恐怖は焼きついていて、何故か地震恐怖症にも繋がっているのかもしれません。
焼け跡には、恐ろしさとせつなさで、しばらくは近づくこともできませんでした。
当然すべてを失くしてしまったのですが、一番悲しかったのは写真が焦げてしまったこと、そして3歳から習っていたヴァイオリンがいくつも焼けてしまったことでした。ヴァイオリンは年齢とともにサイズが変わるので、だんだん大きいのを使えるようになり、小さいのが思い出となり残っていきます。
住むところも失くしてしまったので、当面親戚の家に世話になることになりました。
いくら優しくしてもらっても、心細く、悲しい日々でしたが、しばらくして、やっと小さな家を旅館の近くに借り、再建に向けて動き出しました。
両親にとってはまだまだ教育費がかかる3人の子供を抱え、仕事もなく、家もなく、今まで築いてきたものも一気に失くし、どんなに不安だったことかと、今は思います。
そんな中でも、今まで忙しかった両親がいつもそばに居てくれることや、乗り越えるという目標のもと、一揆団結して暮らしていたのが今ではいい思い出になっています。
そして2年後にはホテルを再建するに至りました。
いつもは当たり前のように身の回りにあったものが、何もなくなり、いかにに自分が恵まれた生活をしていたかがその時、子供心にもよくわかりました。
この体験は、私の人生に大きな影響を及ぼしたと思います。
時間がたったからこそ言えることですが、今となっては失くしたものより、そこから得たものの大きさに感謝しています。